青森出張に行ってきました。
3年ぶりのねぶた祭が開催される直前、すでに出来上がりつつあるねぶたを見学させてもらったりととってもラッキーなタイミングでした!
が、個人的にはねぶた祭よりも気になっていた三内丸山遺跡。
せっかく青森へ行くのでゆっくり見たーいと出張後に残って一泊。
じっくり見学してくることができました!
そもそもなぜ三内丸山遺跡に興味があったか。
それはこちらの本を読んで縄文時代に興味がわいたから。
左側の本はしばらく絶版になっていたのですが、最近コロナのことも加筆された改訂版が出ているそう。右側はその続編です。
ちょっと変わった本ですが、今なぜ世界がこんなに激変しているのか、これからどんな時代になっていくのかを考えるヒントになるかもしれないので、宇宙の仕組みに興味のある方、この先に不安を感じている方はよかったら読んでみてくださいね。
さて、そんなわけで行ってきました三内丸山遺跡。
到着して受付へと進むとこんな張り紙が。
え?本日無料なの?
「無料」の文字の後ろでハニワくんが困った顔しているけど大丈夫??
どうやら世界文化遺産に登録された1周年なんですって。
そんな特別な時に来られたこともうれしいね!
重たい荷物をロッカーに預けたら、さっそく縄文時代の村へ出発です。
外へ出ると特別史跡の看板が立っていました。
北海道と北東北の縄文遺跡群をまとめて世界文化遺産になっているんですね。
三内丸山遺跡は今から5900年~4200年前の縄文時代前期~中期の集落の跡です。
沢山の建物の跡や盛土、大人や子供のお墓などが、土器や石器、木製品や骨格製品などとともに発見されています。
そんな集落へ向かうのがこちらの道。
これ、出てきた道路跡の上をそのまま歩いていくんです。
当時の道路は地面を削って作られていて、幅は約7m~12mあり、集落の東側へ約420m、南側へ約370m延びているそう。
ボランティアガイドさんからは「ここまで広い道幅、果たして人が通るためだけに作られたのでしょうか?」なんて言葉も。
え?私たちの知らない乗り物でもすでに利用していたのかな??なんて想像力が働きました。
見えてきた村がこちら。
住居と思われる竪穴建物はなんと550棟以上見つかっているそう。
床が掘り込んであって、中に炉があります。
よく教科書で見ていたものは茅葺でしたが、現在では木の皮を使ったり、土壁だったのではないかなんて説もあるようです。
「もし部屋の中が暗い!と思った方は、頭の中で窓をつけてくださいね。建物の跡は出てきていますが、誰もその上の建物自体のことはわからないんです。なので想像力を働かせて。なんでも自由です!」とガイドさん。
そうだよね。
歴史の教科書で学んだけど、テストにも出てきたけど、それが正解なんて誰にも分らない。
現に私が学んだ頃の縄文時代の説明は「狩猟採集をして暮らしていた。生活は不安定。定住は弥生時代から」という記述だったのに、この遺跡が発見された後は「縄文時代には定住がはじまっていた。栗の木を育てたり、豊かで安定した生活」となっているそう。
これからますますいろんなことがわかっていくんでしょうね。楽しみ。
建物としてはもう一種類。地面に穴を掘って柱を立てた掘立柱建物の跡が遺跡の中央部分にまとまってあり、高床式の建物が復元されていました。
そしてそんな二種類の建物の大型版があるんです。
こちらが大型掘立柱建物。
高さはなんと15m、柱の間隔はすべて4.2mで、荷重を支えるために内側に2°傾いて建ててあるそうです。
この内側に傾ける方法、現代でも橋を造る際に利用されているそうなんですが、そんな技術が5000年くらい前からあったなんてすごくないですか?
もう一つ、なぜ高さが15mと分かったのか。
それはこちらの穴から紐解かれました。
実際に発掘された柱の跡。
直径、深さともに約2mなんですが、いったい何で掘ったの??
この中に直径約1mの栗の柱が残っていたそうです。
そのような状況から、この地面にどれだけの荷重がかかっていたか調べ、柱の材料が栗の木であったことから算出して高さは15mと判明したそうです。
そして集落の中心には長さが15mもある大型竪穴建物が。
このスケール感、縄文時代としてイメージしていたものとどうでしょう・・・。
少なくとも私には、思っていた以上の高度な文明が実はあったのではないか?なんて気を起こさせてくれる材料になりました。
さて、大きな建物のお話が続きましたが、ここで反対にとっても繊細な縄文文化のご紹介。
こちら、なんだと思いますか?
実はこれヒノキ科の針葉樹の樹皮を材料にした、網代編みのポシェットです。
なんと5800年前のもので、中には半分のクルミの殻が入っていたそう。
おなかがすいたらクルミ食べようってポシェットにおやつを忍ばせてお出かけとかしてたんだとしたら・・私と変わらないじゃん!!
縄文時代の人々にとっても親近感がわきました。
そして、縄文時代といえばやっぱり外せないのが土器ですよね。
縄文土器にも時代によってさまざまな特徴があることが分かったのですが、その進化していく機能性よりも気になってしまったのが土器につけられた模様です。
縄を粘土に押し付けて模様を作ったっていうのが「縄文」の意味だったと記憶をしていたのですが、この写真の土器の模様はどうでしょう?
縄を押し付けた文様の域を出てないですか?
とっても繊細に模様付けしてあるし、土器そのものの形も工夫されている。
芸術センスありすぎでしょ・・・。
さらにさらに、細かい細工をしていたのがこちらの石鏃(やじり)
いろいろな石を加工してつくられています。
多いのは黒曜石ですが、なんと北海道から運ばれてきたものもあるそうで、この時代からものを利用した交易が始まっていたというのも驚きでした。
珍しいものとしてはこんな水晶製のやじりも。
水晶をここまできれいに削り出す技術、一体何を利用したのでしょうね。
一通り見学を終え、改めて縄文時代について振り返りました。
最初に触れた「皇の時代」という本では、5000年前の縄文時代のことを本能のままに生きた時代として紹介しています。
物質エネルギーが満ち溢れていたため、地に自生する豊富な植物や木の実を採取したり、狩猟や魚貝類を摂って食料にしていたため働く必要もなく、所有とか貯蔵や蓄えるという概念はなかったそう。
人々は心豊かに、平和で、楽しく遊んで、自由奔放に暮らしていた、それが本能のみで生きた時代と言われる所以なのです。
確かに、地球の豊かな恵みをいつでも受け取れるとしたら、わざわざ自分のところに貯蔵しておかなくても良いのですよね。
そして蓄えないからそれらを奪い合い争いもない。
え、じゃあさっき見てきた高床式の倉庫と思われている建物は何をする場所だったんだろう・・
まだまだ私の知らない縄文ワールドがある気がしてワクワクします。
最後に、とっても気になるお土産を手に入れましたのでご紹介。
青森といえ有名なのがりんご。
その青森のりんごと、三内丸山遺跡で見つかった5000年前の縄文酵母から作られたシードルです。
5000年前の酵母!!!
何それ~と思いながらもしっかり購入。
家族でで楽しくいただきたいと思います。
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