人生を生き切る

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100歳まで生きる。

そう宣言していた祖母が、101歳のお誕生日を3週間後に控えて息を引き取りました。

嫁いだ家にずっと住み続け、叔母の力を借りながらも自力で食事をし、自宅で安らかに永遠の眠りについた祖母。
死亡届の原因欄にはしっかり「老衰」と記載されておりました。

「おばあちゃんさすがだね」「理想の死に方を実現させたね」
死生観についてよく語る母とはそんな言葉を交わしながら、祖母との思い出を振り返りつつ、冥福を祈りました。

よく、身内に何か起こる際など「虫の知らせ」なんて言葉があるけれど
今回の祖母との別れに向かって、私がこの”死”というものにどう向き合うのか、どう受け入れたらいいのか、日々の生活の中に伏線がいろいろと起こっていたことに気付かされます

たとえば

1月15日、昨年製作のお手伝いをした絵本「ぼくがつたえたいのはね」のお話会に参加しました。
もともとは参加の予定ではなかったのですが、作者でありお話会主催の佐和子さんにお声がけいただいてうかがうことになったのです。

この絵本は佐和子さんの大切な家族だった一匹の猫が、お家にやってきたその役割を終えて天に召されていくお話。
どんな命にもこの世に生を受けた意味があり、その役割を果たすことで天国に帰っていくということ、天国がどんな場所であるかということを、温かい絵とともに再確認する時間になりました。

そして

1月16日、仕事を終えて家に帰ると母がテレビで放映されている映画を観ていました。
途中からだったものの、その世界観に惹かれて一緒に見ていると・・・

「あれ?これ”西の魔女が死んだ”じゃない?」
私の大好きな小説の映画でした。

特に好きなのがおばあちゃんの発する言葉なのですが、その死生観が何とも言えない・・・

”死ぬということは身体に縛り付けられていた魂がようやく体から離れ自由になれる”ことだと教えてくれたり

また実際に亡くなった後には”オバアチャンノタマシイ ダッシュツダイセイコウ”というメッセージを孫に残したり

以前から「先に死んだほうが”魂が自由になったよ~”って知らせようね!」と母と話していたのですが、一緒にこの映画を観れたことで改めて死ぬということは悲しいこと、すべてが終わることではないと認識できました。

それから3日後

1月19日、友人と食事をして23時ごろ帰宅をしたら母の姿がありません。
しばらくしてLineにメッセージ。

”おばあちゃん、誤嚥によって気管に入ったものが肺まで行ってしまい、手の施しようがありません”

1月20日、それまで分刻みで会議室を行ったり来たりするような忙しさだった仕事にぽっかり隙間ができ、「何かあっても、今日なら対応できそうだな」なんて考えながら祖母の様子が気になって母にTELしてみると

「夜中も何回か確認していて、今見に来てもまだちゃんと息してるよ」
そんな言葉を母から聞いた次の瞬間

「え?今息吸わなくなった!」「だめだ、呼吸が止まった」

人間の一生は産声をあげるために息を吸うことから始まって、最後は吐いて終わるんだと何かで聞いた通り、人生最後の息を吐ききって祖母は100歳の人生を静かに終えたのでした。

そして翌日の1月21日
もともと予定していたオンラインでの集いで聞いたのがこんなお話。

”最近、昭和時代の有名人、特に戦中・戦後を経験しながら新たな時代を築いてきた方たちが多く亡くなっている。それは土の時代を生きた魂の役割が終了しているから”

あぁ、そうか。おばあちゃんの今世での役割が終了したんだね。
そして目標であった100歳もほぼ生き切って、このタイミングで魂が身体から自由になることを選んだんだ。

おばあちゃんとの思い出コーナー作りました

とはいえ、私は祖母とのことで心残りなことがひとつ。

戦争のさなかにお嫁入が決まったという祖母。
嫁入り道具もそろい、新居も決まり、翌日が婚礼という日に東京大空襲ですべてが焼けてしまったそうで・・・、とりあえずの仮住まいから始まった新婚生活

”もし私が結婚式をすることになったら、お色直しとか、なんかおばあちゃんと一緒にやろう”

そんなことを密かに思っていたのですが、これまでチャンスはなく結局間に合わなかった・・・

なので葬儀のいろいろなことを決めていく中で一つだけわがままをさせてもらっちゃいました。
「せめてお墓の中でもう一度おじいちゃんと並ぶときかわいい姿でいられますように」
そんな思いを込めて、おばあちゃんが最後に入ることになる骨壺にはお花の模様がついたものを選択。

あれ?魂は自由になったんじゃなかったの??という矛盾した死生観ですが(笑)
まあ、こういう葬儀は残されたもののためにあるということでね。

荼毘に付す際の納めの式では、おばあちゃんと一緒に大変な時代を乗り越えてきたであろうその当時の乙女たちにも思いを馳せ、きらびやかな衣装に身を包んであちらの世界へ渡っていけるようお焼香をしました。

私も100歳まで生きるとしたら、まだ人生の前半。
今世の自分の人生の役割を全うして祖母のように安らかに眠りにつけるよう、日々の忙しさに流されるばかりではなく、周りに起こる出来事からしっかり学んで自分を成長させていきたいなと思うのでした。

おばあちゃん、人生100年お疲れ様!
そしてたくさんの思い出をありがとう!!


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